ありんこまゆみ
役職:親分
旅芸人一座の座長の娘として産まれる。生後12か月にして1歳児程の知能が有る事が分かり、天才では無いかと驚嘆した父は英才教育として文藝春秋を玩具として与えた。どうだい?面白いかい?と問いかけると「ダー!」などとロシア語と思しき肯定の叫びを上げたのであった。これは将来ボリショイバレエ団などで成功する兆候ではないかと狂喜した座長は、福山通運の段ボールの蓋を閉める時にまゆみの頭を撫でながら「必ず成功して帰ってくるんだぞ!」と言われた事が今でも思い出されると後年彼女の口から聞く事が出来た。彼女の入った段ボールの送り状には「ソビエト連邦 ボリショイバレエ団御中」と書かれていたという。
バレエ団での生活は苛烈を極めたが、持ち前の頑張りでいつしかトップクラスの腕前を持つ左官職人としての実力を身につけるに至った。手に職を付けたまゆみは世界の壁を塗りたいと言い残しバレエ団を去る事となる。時は冷戦時代のソ連、おいそれと帰国する事も敵わず、何とか日本へ帰ろうとする道すがら、国境を越えたモンゴルで遊牧民の歌う伝統歌唱法ホーミーと出会う。衝撃を受けた彼女はそのホーミーの超高音とフランク永井の低音を組み合わせ、丁度いいくらいでなんとなくいい感じの歌唱を身につけたのである。
丁度、日本へ新弟子検査を受けにくる予定だった朝青竜の浴衣の中に隠れ20年ぶりに日本へ帰国する。「まゆみ」と「ゆういち」から2文字づつ取り「ありんこ」という名前で現在活動中。
ありんこゆういち
役職:子分
どちらが「あり」でどちらが「んこ」ですかと聞かれ時にまゆみがゆういちを指さし「こちらが "んこ" です」と紹介した為「んこ」としての人生が始まった。落ち込んだりもしたけれど私は元気です。